
「風邪をひいたのかしら…」
1999年7月9日、当時29歳だった豊田由美さんは尾道市内の自宅玄関で倒れ、そのまま意識を失った。
小学1年生の一人息子章雄さんが帰宅して見つけた。吐いたら大変だと思ったらしい。とっさに母の頭にサッカーボールをあてがい、友人宅へ駆け込んで救急車を呼んだ。
B型肝炎ウイルスによる超急性型劇症肝炎の発症だった。肝細胞が急激かつ大量に破壊され、いくら再生力に富んだ肝臓でも追いつかない。血液中の毒性物質が除去できず、肝性脳症による 昏睡 ( こんすい ) が続いた。
この段階へ至ると予後は極めて厳しい。唯一残された可能性は肝移植だった。
一刻の猶予もない。豊田さんは救急搬送先から岡山大病院へ転院。3歳年上の兄がドナーに名乗り出て、7月23日、生体肝移植を受けることができた。
病気らしい病気の経験がなかった豊田さん。もちろん移植についてもほとんど予備知識はなかった。正気に返り、寝耳に水どころか、わが耳を疑ったかもしれない。ICU(集中治療室)で幻視や幻聴に悩まされ、リハビリに苦しんだものの、幸い順調に回復した。
しかし、いざ日常生活に戻ろうとすると、「見えない壁」が立ちはだかった。同病院の肝移植は今や247例(今年6月末まで)に達しているが、豊田さんは10例目だった。まだ大半の人の目に、肝移植レシピエントは「異邦人」のように映っていただろう。
移植を受けたことを知ると、仲のよかったご近所さんの足が遠のいてゆく。憤まんやる方ない様子の章雄さんの話を聞いてみると、学校で先生に「私なら移植は受けない」と言われたらしい。地元の病院を受診して肝移植後だと告げると、医師も看護師も「こちらではよく分からないので…」と尻込みされた。
「それなら自分で勉強してみよう」。決意した豊田さんは看護学校に入学。2004年3月に卒業し、准看護師として働き始めた。
勤務した医療機関ですぐに受け入れられたわけではない。「夜勤にも入れます」と言っても、「激務に耐えられないでしょう」と先入観のまなざしを向けられたこともあった。
今年4月からは公立みつぎ総合病院(尾道市御調町)の病棟で働き始めた。山に囲まれた地域の中核医療機関である同病院の入院患者はお年寄りが多い。
病室を巡回して患者の脈を取る。自分もチューブだらけになり、看護師さんの顔を見て安心したこと、飲みにくい粉末薬に苦労したこと…。患者の身になって思い返す。
豊田さんはこの病院に来て、移植レシピエントであることを隠すことはなくなった。
がんを治療して職場復帰された方なども、同じような思いをされているだろう。私たちも社会の一員。できるだけ普通の人と同じように暮らし、働きたいと願っている。
■ ■
昨年4月から55回にわたり、体験記をつづらせていただきました。「移植の門」の修行に終わりはありませんが、前向きに、一歩ずつ「よかった探し」を続けたいと思います。ひとまず連載の筆を置きます。ご愛読ありがとうございました。
(完)
メモ
よかった探し 米国人作家エレナ・ホグマン・ポーター(1868~1920年)の小説「少女パレアナ」の主人公は、逆境にめげず、父親の遺言を信条としてポジティブ(肯定的・積極的)に生きた。日本では同作を原作としたアニメ「愛少女ポリアンナ物語」がテレビ放映(1986年)され、「よかった探し」という言葉が定着した。ポジティブな言葉や感情は人に大きな影響を与えることをたとえて、心理学用語で「ポリアンナ効果」と呼ぶことがある。
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劇症肝炎 肝性脳症 岡山大学病院 公立みつぎ総合病院 臓器移植 職場復帰 術後 |
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1 二つの手術室 刻まれた「ベンツ紋章」 
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院長室から
病院長
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