

第3回 岡山大学学長 清水多栄 胆汁酸の研究 肝臓生合成 初の仮説 (2007/6/4)
「胆汁酸の化学と生理」(研精堂印刷所)とドイツ語で書かれた赤茶けた紙箱。中から本を取り出し、紺色の布張り表紙をめくると「昭和拾壱年六月 清水多栄」墨のあとも鮮やかな筆遣いでしたためてある。岡山大...

第2回 岡山県知事 三木行治(2) 生命の使徒 福祉優先“奉仕”の県政 (2007/6/2)
三木行治は昭和十四(一九三九)年二月、岡山から上京、岡山簡易保険健康相談所内科医から保険院簡易保険局監理課勤務になった。三十六歳。 行政官になった三木の最初の仕事は九年間働いていた健康相談所の拡...

第1回 岡山県知事 三木行治 施療の医師 病人救うため行政へ (2007/6/1)
「社会福祉法人岡山博愛会100年史」(一九九一年発行)は明治二十四(一八九一)年、アメリカの女性宣教師アリス・ぺテー・アダムスが岡山市に着任、子どもたちを自宅に招き、活動を始めた明治から大正、昭...

第8回 森永ヒ素ミルク解明 浜本英次 治療法示し拡大防止 (2006/9/14)
「人工栄養児に奇病」「肝臓がはれ貧血―原因不明、一人死亡」昭和三十(一九五五)年八月二十日、山陽新聞夕刊トップ記事。森永ヒ素ミルク中毒事件が明るみに出た最初だった。 実はこの年六、七月ごろから、肌...

第7回 胃がん拡大根治術 陣内傳之助 転移防ぎ治癒率向上 (2006/9/12)
昭和二十三(一九四八)年、岡山医大第一外科教室に教授陣内傳之助が九大から着任した。医大病院はまだ黒色に迷彩を施し戦時中のまま。町にはバラック住宅が建ち始めていた。当時、外科では消化器外科を中心に...

第6回 子宮がん手術 岡山大学長 八木日出雄 高治癒率 世界に名声 (2006/9/8)
子宮 頸 ( けい ) がんの手術法では欧米に普及したベルトハイム術式をしのぐ治療成績をあげ、広く知られているのが「系統的広汎性子宮全摘出術―岡林術式」。これは八木日出雄の京大の恩師岡林秀一が考案した...

第4回 日本脳炎研究 岡山大初代学長 林 道倫 ( みちとも ) 病原体発見へ道開く (2006/9/5)
大正十三(一九二四)年七月、岡山医大精神科教授林道倫は着任した。日本の精神病研究の先駆者呉秀三東大教授の教えを受け、同級生には歌人の斎藤茂吉がいた。十年の薫陶を受けた後、三年間のドイツ留学を終え...

第2回 世紀の発見 秦佐八郎 独留学で梅毒特効薬 (2006/9/3)
明治四十(一九〇七)年、伝染病研究所第三部長秦佐八郎は三年間ドイツ留学に旅立ち、ベルリンのコッホ研究所に入った。岡山の母校・第三高等学校医学部の恩師荒木寅三郎教授が学んだ国、当時の日本の医学者あ...

第11回 国立岡山病院院長 山内逸郎 新生児医療 死亡率の低さ全国一に (2005/8/17)
昭和二十七(一九五二)年、国立岡山病院小児科医長として赴任した。岡山県は赤ちゃん死亡率が高く、全国平均を上回っていた。岡山医大小児科教室で県北の乳児検診をし、実情を知っていた山内は「低出生体重児...

第10回 岡山済生会総合病院院長 間野清志 胃がん手術 メス振るい治癒率向上 (2005/8/16)
日本人の国民病と言われた胃がんに敢然とメスを振るい、生涯胃がん手術数三千七百一例に及ぶ外科医間野清志の人生を振り返る。 昭和二十六(一九五一)年、外科医長として岡山医大から赴任。二十九歳の外科医...
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心臓病センター榊原病院 開院当初から、医療を受... |

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川崎医大川崎病院 この度、川崎医科大学の... |

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慈圭病院 「わが子でも安心して任... |

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松田病院 外科は消化器・肝胆膵領... |

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旭川荘療育センター児童院 重症心身障害のある人た... |

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光生病院 24時間急患受け入れに対... |

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脳神経センター大田記念病院 脳卒中と脳血管疾患の専... |

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岡山赤十字病院 当院は、地域の中核病院... |

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岡山旭東病院 脳神経外科、整形外科、神... |

27日に乳がん講演会 川崎医大附属病院 (5/22)
6月2日に認知症講座 慈圭病院 (5/21)
健康と糖尿病の教室(~25日) 榊原病院 (5/18)
6月14日に健康教室 おおもと病院 (5/14)
6月2日に子宮がんシンポ 岡山 (5/8)
5月29日にメタボ教室 いしま病院 (4/27)
5月26日に公開講座 川崎医大川崎病院 (4/20)
5月20日に放射線被ばく講座 岡山 (4/19)
6月3日に公開講座 岡山労災病院 (4/18)
栄養教室を開催 川崎医科大附属病院 (4/17)